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ダンスと地域 Vol.3

2016.02.26

BY 井上大辅(Daisuke Inoue)

SHIBAURA HOUSEを拠点に活動する、プロ/アマ混合市民参加型ダンスカンパニー「ダンスポート・シバウラ」で企画・振付を担当するダンサー井上大辅さんによる「ダンスと地域」をテーマにしたコラム、第三弾です。
>>「ダンスと地域 Vol.1」
>>「ダンスと地域 Vol.2」
>> ダンスポート・シバウラ特設サイト

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こんにちは、ダンサーの井上です。これまで北九州芸術劇場や「芸術家と子どもたち」での活動など、過去の体験からお話させていただきましたが、今回はソロダンサーとして活動する木村愛子さんの協力を得て、公演する側の創作・上演の過程についてお話しします。 私はダンスポート・シバウラのメンバーとして「芝を漕ぐ」を、木村さんはソロ作品「水を抱く」を、SHIBAURA Dance Weekend(2016.2/27-2/28)にて上演します。その公演も視野に含めながら、その他それぞれの自身の活動について話してみました。

自主公演とそれ以外に違いはあるか

木村愛子(以下、木村):私はソロ活動を中心にしていて、それほど自主公演とそれ以外での違いを感じたことはありません。作品をつくるのは自主公演もそれ以外も一緒ですし、制作的な面でもあまり変わりがないと感じています。広報は、コンテンポラリーダンスの公演を中心にチラシを折り込んだり、次の公演を行う劇場の周辺に置きチラシをさせてもらったり、以前横浜で公演した時には近くのバーにチラシを置かせてもらうなどしました。けれど実際に公演を観に来てくださるお客さんのほとんど、8割位は私の知っている方です。

井上大辅(以下、井上): 残りのお客さんは、どんな人?

木村:友達が友達を連れてきてくれたり、もちろんチラシを見て来てくださる方もいます。あとはインターネットの情報を見て来る方や、ダンスの公演をよく観られている方などです。

井上 僕が21世紀ゲバゲバ舞踊団にいた時も状況は同じ。結局チケットは自分で売らなくてはならない。でも、手売りの状況が不健全だと言っているのではなく、理想としては自分たちの知らない、まだ手の届かない観客層に観に来てもらえるような可能性を探しているってことなんだよね。

木村:はい。もっといろいろな方に観てもらいたいです。現状よりもっと私自身の世界を広くしていきたいですし、今考えていることや感じていることをもっと多くのお客さんと作品を通して対話したいと思っています。けれど自分の知っているコミュニティだけで作品上演のサイクルが回ってしまうと対話は生まれにくくなってくるという気がしています。
私はそんなにわかりやすい作品をつくっているとは言い難いのですが、作品を通してお客さんともっと対話したいですし、そういうところに舞台を観る価値を感じていたりして、作品づくりをしたり、舞台を観に行ったりしています。

井上:ということは、お互いに新たな観客層の創出が必要だと感じている
わけだけれど、それはどうしたらいいんだろうね。

木村:ちょっと話が違うかもしれないですが、そしてかなり漠然としていることですが、最近は地方でも公演したいなと思っています。

井上:こちら側から新しいフィールドに行くということだね。でも地方では余計に観に来る人少ないよ?そして愛子ちゃんが東京に戻ってきて公演打つ時に観に来てくれるかというと、それも困難な話だよね。

木村:う~ん。またちょっと話が違うかもしれないんですが、井上さんだったらアウトリーチなどもしていますよね。そこで知り合った人たちが観に来てくれることはありませんか?

井上:そうだね、ワークショップとかアウトリーチとかすると、やっぱりそこで出会った人たちが、僕たちの公演に限らずダンス公演を観てくれると良いなと思うね。

木村:例えば以前良い舞台を観たとか、ワークショップが楽しかったとか、そういった良い劇体験があると、それをきっかけにまた舞台を観たいとか、やりたいって思ってもらえることがあるんじゃないかと。そういったことを増やせると良いですね。そして作品を上演する側、つまり私たちとしては、誰が観に来てくれるか分からないので、毎回しっかりやるしかないですね。以前、木佐貫先生(*1)がおっしゃっていたのですが、その時は観に来られなかったけれど、4年後位に来てくださるお客さんもいらっしゃるのだから、どんな時でもしっかりやらなくちゃいけないよって。

グループとソロ

井上:今僕がやっているポート・シバウラの活動とダンサー同士での創作との違いで言うと、ダンサーはもらった振付は基本的に自分で消化して踊りに落とし込んでいくものだと考えているけれど、ダンスポートの場合はもっと共有しないといけないなって思うことがたくさんあるんだよね。それはメンバーのこれまでの人生のキャリアがあまりに違うから、僕自身としてもそこを知りたいと思う。今どういうことをやっているのか、なんでダンスしたいんだろうとか。とにかく時間の流れ方が本当にそれぞれ違うなと思う。
途中それを揃えようとして上手くいかなくなった時もあった。でも一方で、そういうのを抜きにして、稽古場で一緒に体を動かしていくことが創作になり、作品やダンスの言語化に繋がっていけたら良いと思う。ダンサーだろうが、会社員だろうが、踊るんだったら先ずは動きましょうって思って稽古しているよ。愛子ちゃんはソロの創作とグループでの創作とでは、違いを感じる?




ダンスポート・シバウラ稽古の様子

木村:最近私自身の活動としてはソロ創作が多いんですが、今教えている高校生の授業や部活で群舞創作をしている時に感じることは、人がいるって良いなぁということ。そこに人がいるだけで、またそこにいる人からインスパイアされるものがあって、稽古場に入る前に準備してきたものとはまた違ったものが生まれることが多いように感じます。それにひらめいたアイデアをすぐに実践してくれて、それを肉眼ですぐに見られるのは、とても大きいです。
ソロの場合はそれを客観的に見るためにはビデオに撮ったりしないといけない。けれど出来上がってきた作品についてはソロも群舞も変わらないのかなと思います。以前私はソロダンスはそのダンサー個人を見ているように思っていたのですが、最近はソロダンスというものが、個人の身体を見ることだけに留まりたくないと思っています。ソロも群舞も作品として発表する時には変わらないのではと思います。

井上:僕はソロも群舞も、どちらもソロだという感覚かな。どちらにせよ結局は孤独を感じる時がある。説明してくれても分からない時は分からないじゃない。それを自分の体に消化させるためには自力しかないんだよね。ダンサーとして関わっている以上、分からないとか出来ないのを振付家のせいにはできないね。もちろん意見を聞いたり話をしたりするのは大事なことだけれど、踊り手の責任という意味ではソロも群舞も同じだね。振付家が自分か他者かってことだけで。

今回の作品について

井上:これまで愛子ちゃんは「温かい水を抱く」というタイトルで作品を発
表してきたね。それがいつからか「水を抱く」に変わっていた。「温かい水」というのは僕のイメージではお風呂にしてはぬるい、ある種の中途半端な印象を抱いていたのと、あとは羊水とか身体内の水という2つのイメージがあったけれど、「水を抱く」に変わったのを知ってから印象はシャープになったね。やっぱり作品も少し変わってきたの?

木村:私は高校生の頃から白黒はっきりしたことよりも、グレーのような曖昧な部分に興味を持っていました。それで、水というのは抱くことはできないですが、温かさがあると触れた感覚が少し残るんのではかと思ったのです。そういう肌感覚を味わえるような作品を作りたいと思い、高校卒業後すぐにこのタイトルでデュオ作品をつくりました。
それから数年経ち、大学卒業後の進路について迷っていたのですが、やっぱりダンスを続けたいと思い、それでソロダンスをやっていこうと決めました。そして大学の卒業制作をこのタイトルにしたのですが、Ⅰでは終えることが出来なくて、Ⅱ、Ⅱ′、Ⅲ、Ⅳ…と続いてきている感じです。
また大学卒業して3、4年位は自身のソロ活動も続けながら、いろいろな振付家の方の作品にも出させて頂いていたので、結構頻繁に踊っていました。けれど2013年に大学内や企画の中ではなく、初めて単独の自主公演「温かい水を抱くⅣ」を行った時、それまでは数ヶ月先のことしか考えず活動していたのですが、ちょっといっぱいいっぱいになってしまって…

井上:卒業してからハイペースで公演重ねていたもんね。すごいなあって思っていたら、ある時期から愛子ちゃんが消えたよね。

木村:はい、そこからも稽古はしていたのですが、1年間舞台に立っていなかったです。そしてその後に発表した作品が「水を抱く」でした。

井上:そうなんだ。

木村:その間に自分が見落としてきていたことが見えてきたりして、少し私の中で作品をつくることへの意識が変わってきました。それまでソロダンスに関しては、いずれ記憶からなくなったとしても何か温かいものなど曖昧なものでも、肌感覚とかが残ると良いな、なんて思いながら創作していたんです。残らないかもしれないけれど、残ってくれるといいなと、どこか他人任せな感じがありました。ですがその充電期間の最中に、いや、残らないかもしれないけれど、残そうとしていかなくてはいけないんじゃないか、もっと積極的にやっていかなくてはと思いが変わったのです。

井上:それは観客にとってということ?

木村:もちろんそうでもあるのですが、私自身に対してもです。だから水は
抱けないけれど、でも抱きにいかなきゃいけない、みたいに思いました。

井上:意識とともにタイトルに変化が訪れて、それは具体的に踊りのつくり方や内容に関しても変化があるの?

木村:「水を抱く」をつくってからは、結構具体的な動きが多くなってきたように感じます。


写真:福井理文

井上:具体的な動きというのは、例えば愛子ちゃんの動きを観ていて「あ、今食事しているね」みたく、観客が見た目に共有できるものなの?

木村:これまでは私はそういうのが嫌だったんです。動きで状況を説明しているみたいに感じてしまって。いつもそうじゃないところにもっていこうとつくっていたのですが...

井上:でもダンスってどれだけ具体的な動作をしていても抽象じゃないかと思うんだよね。受け手は自由に解釈すればいいのだし。

木村:そうですね。でもそれがずっと怖かったんですね。だからやたらとぼやかしてきたんです。

井上:自分自身が分からないままやっていることもない?結局作品について全部を説明できない。

木村:ちょっと記憶が曖昧なのですが、以前大学の授業で岡田さん(*2)が「95%近くは言葉にできる可能性があると思うけれど、残りの5%位はやっぱり言葉にできない部分がある。けれどそれ以外は言葉にできる可能性があるのならば、それは言葉にしていこうよ」みたいなことを話されていたことがあって、その感覚はとても良いなと思ったんです。

井上:観客も作り手が考えていることとは全く違う見方をしている時もあるし、そういうのが舞台上と客席で行われている対話的な面白さだよね。ダンサーがどれだけ具体的な意図をもって踊っていても、受け手は抽象的に捉えると思うんだよね。でも体を動かすというのはとても具体的な行為だし、だからこそ踊り手には実感が必要なんだろうけれど。

木村:作品を全部説明して済んでしまうなら、舞台としての魅力は足りないですよね。

井上:そうだね。むしろその解釈の幅をどんどん拡げていける部分に、ダンスの大きな受け皿というか、魅力があるんだよね、きっと。こういう受け手の自由さみたいなことを楽しめる場づくりを、いろいろなアプローチでやれるようにしていきたいね。

*1:木佐貫邦子/ダンサー・振付家
「てふてふ」シリーズ等、数々のソロダンスを発表し国内外で活躍する。その他若手ダンスグループ「neo」の育成や桜美林大学芸術文化学群教授を務めるなど、後進の指導にも意欲的に取り組む。井上、木村共に大学でコンテンポラリーダンスを師事し、多大な影響を受ける。

*2:岡田利規/演劇作家・小説家・チェルフィッチュ主宰
独自の方法論で演劇作業を実践、「三月の5日間」で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。またその作品の持つ身体性も高く評価され、トヨタコレオグラフィアワードにもファイナリストとして出場する。桜美林大学、早稲田大学など講師歴も多数。

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